ビジョナリーの視点 -オムロン創業者・立石一真の思考から紐解くイノベーションと企業経営 第四話:オートメーションを日本に根付かせた先見性と「ソーシャルニーズ論」

8回にわたって、稀有な技術系経営者であったオムロンの創業者、立石一真の思考と思索の跡をたどり、その成長の過程とビジネス哲学の背景を紐解いていく本コラム。

第四回目は、社会的な使命を持って起業し、技術・製品・組織づくりに類い稀な才能を開花させた一真が、日本では未開拓の分野だった「オートメーション市場」を切り開いていくために直面した困難と、それを乗り越えるうえで発揮されたマーケティングセンスについてご紹介します。昭和20年代後半、まだ一部の人々が概念的に知っているだけだったオートメーションのための技術と製品を、一真はどのように日本に普及させ、根付かせていったのでしょうか?


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今に通じるモノを売ることの難しさとマーケットの模索

企業の健全な成長には、常に新たな市場をつくり、その市場をリードできる技術や製品を開発・販売していく必要があります。それは、飽食の時代といわれて久しく、モノがあふれて新製品であっても簡単には売れなくなった昨今の企業が、毎日のように取り組んでいることです。

しかし、これは何も新しいことではなく、社会状況は異なっていても、昔から企業経営には付き物の課題でした。そして、立石一真も同じ悩みを抱えていたのです。戦後の壊滅状態にあった日本の産業が復興に向い、経済の再建が進む中、一真は、日々昼夜を問わず、革新的な技術や製品を販売できる新たなマーケットの存在を模索し続けました。

研究熱心な一真のことです。彼は様々な書物に目を通し、また、これはと思える経営、医学、科学などの研究会に参加しながら、人々や社会が何を求めているかを考えました。そんな探究の日々が続いていた昭和27年(1952年)のある日、一真が信奉する「能率」(*1)の草分け的存在だった上野陽一氏を囲む「落穂会」の会合で、オムロンの将来の飛躍につながる決定的な情報を得たのです。

一真の心を惹きつけたオートメーションとの出会い

それは、オートメーションの概念でした。上野氏は「このごろアメリカに、オートメーション工場というものができている。無人の工場で、機械に原料を入れてやると、立派な製品となって出てくるという進歩したものだ。これからの商品は、オートメーションを前提として設計せねばならぬ」と話し、一真は、この技術に大いに心を魅かれます。そして、そのようなオートメーション工場を発達させるには、マイクロスイッチやマグネットリレー、タイマーなどの制御用部品が必要になることに気づきました。

同じ話を耳にしても、受け取り方は人それぞれです。オートメーションの話を聞いて単に感心するのではなく、自分なりに咀嚼して、それを実現するための枠組みを頭に描くことができたのは、ひとえに一真が日頃から「価値ある情報を生かすためには受け手に問題意識がなければならない」と考え、自らの頭脳も高感度にしておくことができたためといえるでしょう。幸いなことに、当時の立石電機には、すでにそれらの制御用部品の開発に成功しており、まさに新しい市場を模索している矢先だったのです。

このオートメーションの現状と、第3回で触れ、同じくオムロンの未来を左右することになったサイバネティックスの反響を自身で確かめるために、一真は翌昭和28年(1953年)にアメリカの電気業界の視察に赴きます。自身初の渡米となったこの旅で、一真はシカゴの第8回国際計測器展示会に立ち寄り、アメリカのインスツルメンテーションやオートメーション用の工業計測器、制御機器などを十分に観察することができました。また、実際にいくつかの工場も訪れて、オートメ―ションの現場を目の当たりにし、立石電機におけるオートメーション制御機器開発の将来性を確信したのでした。

さらに、一真は、先の展示会で見たトランジスタ(半導体部品)技術にも期待を感じ、それが「夢の無接点スイッチ」や、その後のサイバーネーション技術を活用した商品の開発へとつながっていきます。

こうして大きな成果を得た視察旅行から帰国した一真は、すぐにオートメーション用機能部品としての制御機器開発に全力で取り組むよう、全社に指示を行ったのです。

ソーシャルニーズに着目したマーケティング展開

一真は、社憲の制定のときにもそうだったように、オートメーションという新しい概念を普及させるために、技術開発と並行して啓蒙活動にも力を入れました。具体的には、「オートメニュース」など啓発紙の発行や技術懇談会の開催を通じて「日本のオートメーション市場」に対する社会や企業の関心を高め、新たな市場として定着させていったのです。

また、一真は技術開発のための投資も惜しみませんでした。当時は大企業でなければ所有していなかった電磁オシログラフ(*2)を早々に購入し、理工系の大卒者を積極的に採用するなど、研究機材や人材の強化にあたりました。

それでも、こうした新しいマーケットに向けた製品の開発は簡単なことではありません。アメリカの様子を視察したとはいえ、日本国内には見本がなく、すべて一から作り上げて生産することになります。しかし、具体的なプロジェクトなしに製品開発は進められないわけです。

そこで、一真は「ソーシャルニーズ論」というものを考え出しました。新しい技術/商品/システムづくりのきっかけとなる世の中の変化の兆しなど、社会に潜在しているニーズをできるだけ早く、たくさんとらえて、そのニーズを満たすものを世に先駆けて開発する考え方です。

こうしたソーシャルニーズに向けて開発すれば、同じニーズを持つ会社のほうから吸引力が働いて、自然に販売が促進されることになります。そのため、一真はセールス部門に対して「単に商品を売るだけでなく、さらに次に売る商品を開発するためにニーズをとらえること」と指示していたのでした。

豊かな暮らしの実現を支えてきた日本のオートメーション

当時のオートメーション市場といえば、今のAI市場のように、世間一般には概念的にしか知られていない状態にありました。しかし、一真は持ち前のマーケティングセンスによって、普及のために必要な啓蒙を行い、ソーシャルニーズに着目することでデマンドを掘り起こすことに成功したのです。そして、自動制御に不可欠な、リレー、タイマー、スイッチなどの量産を日本でいち早く行ったことで、「日本のオートメーション市場」の確立に寄与しました。

その結果、日本のモノづくり現場で人の作業が機械に置き換わり、長時間労働による人的ミスも減り、作業効率と安全性向上の両立が成し遂げられたのです。このようにしてモノづくり現場を進化させる機器を提供し、世界の製造業の生産性向上に貢献したオムロンは、今も人々の豊かな暮らしの実現を支え続けています。

第五回となる次回は、これまでに触れてきたサイバーネーション、オートメーションの概念を、社会の要となる交通インフラの鉄道分野に落とし込んで世界で初めて開発された、無人駅システムをめぐるエピソードをお届けします。

*1:生産効率向上と企業活動の活性化を支援する概念
*2:電気信号の波形を観測する装置