世界初、米国の医療機器認証を受けたウェアラブル血圧計の誕生秘話 ~「積年の障壁」であった血圧計の小型化を実現した二人のエンジニアの挑戦~

人間ドックや健康診断でおなじみの血圧計は、血圧の異常を早期に発見するうえで、大きな役割を果たしてきました。日本では、高血圧患者が約4,300万人いる(*1)と推定されており、およそ3人に1人が高血圧という状況です。高血圧は、自覚症状がほとんどなく、積極的に治療を行わない人も多い点が課題の1つですが、放置していると心筋梗塞や脳卒中などの重篤な疾病を起こす原因となります。技術によって社会的課題の解決に挑むオムロンは、高血圧が原因の脳・心血管疾患の発症ゼロ(ゼロイベント)を実現するデバイスの1つとして、従来製品と比べて大幅な小型化を実現したウェアラブル型の血圧計の開発に成功。米国や日本の医療機器認証も受けて、医療現場で診断や治療に活用できる、画期的なデバイスが誕生しました。

*1:厚生労働省の国民健康・栄養調査データ(2016年)を基にしたオムロンによる推計数。

長い期間を経て認知された家庭用血圧計の功績と次なるステップ

オムロンが、自社製品として初めて家庭向けに血圧計を発売したのは、1973年のことでした。以来、商品の精度と使いやすさにこだわった商品開発だけでなく、医療現場と連携して家庭血圧の普及に取り組んできました。そして、2003年には、日本高血圧学会の「家庭血圧測定条件設定の指針」において、家庭での血圧測定方法や基準が具体的に示され、日本高血圧学会の高血圧治療ガイドライン2014 年版では、「診察室血圧と家庭血圧の間に診断の差がある場合、家庭血圧による診断を優先する。」と規定されるまでになりました。家庭血圧が高血圧治療で活用されるようになったことは、高血圧による脳・心血管疾患の発症を未然に防ぐうえでの大きな前進でした。

家庭血圧に関する様々な臨床研究が広がる中、血圧は1日のうちでも様々に変化するものであり、日中の大きな血圧変動は脳・心血管疾患の発症リスクを高めることが分かってきました。しかし、家庭血圧の普及によって測定頻度が増えたとはいえ、今までの血圧計では手軽に持ち歩いて血圧を測ることは難しく、オムロンが目指すゼロイベントの実現に向けて、日中の血圧変動を捉えるための新たなチャレンジが始まりました。

突然の脳・心血管疾患発症を防ぐ常時装着への夢

今回、ウェアラブル血圧計の開発を担当した、西岡孝哲(にしおか たかのり)と久保 大(くぼ たけし)は、共にオムロン ヘルスケア株式会社で商品の先行開発を行う部署に属するエンジニアです。

西岡は、身近な人が脳梗塞で倒れたことがあり、本人だけでなく家族の生活や経済面が劇的に変化してしまった状況を目の当たりにしました。一方の久保にも、家族や友人が高血圧による脳・心疾患で実際に倒れてしまったという経験があり、それぞれに、ひとりでも多くの人を高血圧の危険から救いたい、そして、若い世代にも血圧に対する意識を高めて欲しいという強い思いがあったのです。

では、具体的にどのような製品を開発すれば、ゼロイベントの実現に近づけるのか?この問いに対して、腕時計の様に「常時身につけられるもので、いつでもどこでも測定できること」が重要であるという結論にたどり着きました。常時モニタリングを可能とすれば、一人ひとりが自身をとりまく環境やストレスなどの心理状態によって刻々と変化する自分の血圧を測り、脳・心血管イベント発症のリスクの大きさを知って、予防のための生活改善や治療を始められ、ゼロイベントの実現に繋がります。

しかし、この常時モニタリングを実現するためには、測定精度、測定原理はもちろん、すべての部品について革新的な小型化を実現しなければならないという大きな壁に立ち向かわなければなりませんでした。

オシロメトリック法(*2)の壁を超えた画期的トリプルカフ構造の断面図

カフ構造の断面図

カフ構造の断面図

最初に、小型化への挑戦の前に立ちはだかったのが、血圧測定に不可欠なカフ(血圧計の膨らむ部分の空気袋)の存在でした。カフに空気を送り込み、しっかりと動脈を押しつぶさないと正しい血圧値が測定できないため、従来の製品では52㎜のカフ幅が必要でした。しかし、常時快適に装着するには、その半分以下にする必要があります。

従来の手首式血圧計では、1つのカフが、手首を押圧して動脈を徐々に圧閉する役目と、そのときに動脈内の血圧の脈動に応じて発生する微小圧力振動を含んだカフ内の圧力を検出するという、2つの役目を担っていました。カフ幅を狭くし過ぎると、動脈を圧閉するのにより高いカフの圧力が必要となり、動脈にかかる圧力との誤差が大きくなります。また、脈波形状を安定的に検出することも難しくなり、血圧測定精度が悪化します。使用している部品や材料、コストの制約条件もあり、カフ幅を52mm以下にすることはできないというのが固定観念となっていたのです。

しかし、西岡には、エンジニアとして世界最小の血圧計開発に挑戦したいという熱意がありました。また、久保は、原理や実現方法をゼロベースで考えるという、従来からの延長線ではない進化が不可欠と考え、命にも影響する血圧計測を担う非常に重要な製品であるがゆえに、自分たちの力を結集すれば必ずブレークスルーできると確信していたといいます。

2016年から2018年にかけて数えきれないほどの試作、評価を行いました。日々、その結果を分析し、翌日には次の試作機の評価に取り掛かるという試作開発の繰り返しです。試行錯誤の末、カフは1つという固定観念を破り、3つのカフを持つ構造にたどり着いたのです。これまで1つのカフで行っていた手首の押圧と、押圧される手首にかかる圧力の検出、動脈にかかる圧力を皮膚表面で正確に測定する役割を、それぞれ独立したカフで行うことで小型化を実現するという、発想の転換でした。(*3)

その後、幅広い年代や性別の人たちに血圧測定実験を行い、従来の半分以下の25mmという幅でありながら、測定精度を保証できるトリプルカフ構造の実用化を成し遂げたのです。

トリプルカフ構造によって誕生した、ウェアラブル血圧計を操作している様子

トリプルカフ構造によって誕生した、ウェアラブル血圧計
*2:病院の自動血圧計や家庭用血圧計に従来から広く使用されている血圧測定方法。カフ(血圧計の空気袋)で上腕や手首を圧迫して動脈を閉塞した後、徐々に圧力を下げていく過程で、カフが動脈を押す圧力と動脈内の血圧の脈動との関係で生じるカフ内圧の微小な圧力振動を検出し、振動の大きさとカフ内圧との関係から血圧を測定する原理。
*3:詳細は技術論文OMRON TECHNICSに掲載されている論文「腕時計型血圧計を実現する動脈圧迫技術」を参照。
https://www.omron.co.jp/technology/omrontechnics/2020/20200518-kubo.html

今も続く「24時間常時モニタリング」に向けた挑戦

腕時計型のウェアラブル血圧計を操作している様子

この腕時計型のウェアラブル血圧計は、通常、申請から認可まで5ヶ月程度かかる厳しいFDA(米国食品医薬品局)の医療機器認証を2ヶ月という最短期間で取得。これが励みとなって、量産化までのハードルも無事に乗り越えることができました。その後は日本・欧州でも医療認証を受け、発売しています。

しかし開発陣は、すでにさらなる小型化と血圧の24時間常時モニタリングの実現に向けて走り出しています。さらに、心電、睡眠、活動量など、さまざまなデータと血圧の関係を用いて、脳・心血管疾患の発症リスクを予測する、または小さくする方法に向けた臨床研究も始まっています。

ゼロイベント実現のためのイノベーションを進めるエンジニアたちにとって、このウェアラブル型血圧計は大きな一歩ですが、同時に、ゼロイベントの実現へのファーストステップに過ぎないのです。

ウェアラブル型血圧計を生み出した開発メンバー集合写真

ウェアラブル型血圧計を生み出した開発メンバー(中央前段:西岡、中央後段:久保)

西岡 孝哲

西岡 孝哲 NISHIOKA Takanori
オムロン ヘルスケア株式会社
開発統轄本部 技術開発統轄部
商品先行開発部
専門:材料工学

久保 大

久保 大 KUBO Takeshi
オムロン ヘルスケア株式会社
開発統轄本部 技術開発統轄部
商品先行開発部
専門:ソフトウェア工学

挑戦した二人のエンジニア、西岡と久保のプロフィール

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